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引っ越し

2009年11月09日 20:29

突然ですが、ブログの引っ越しをしました。

しばらくそちらでやってみようと思います。

新しいアドレスは以下の通り。

http://hajiparislite.blogspot.com/

「はじぱり lite!」ということで、少し雰囲気を変えてみました。

そちらも覗いてもらえると、うれしいです。
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底知れぬもの(2)

2009年07月16日 01:25

こんにちは。

涼しい日を挟みつつ、暑い日が続いています。

というわけで、前回に引き続き、納涼絵画話(?)シリーズ後編です。

今回は、ポップ・アートの巨匠、アンディー・ウォーホール。
1928年生まれで、言わずと知れた60年代を代表するアーティストであり、
ファインアートに限らず、映画製作からロックバンドのプロデュースまで、
マルチなタレントを発揮した奇才中の奇才ですね。
前回紹介させていただいたカンディンスキーが1866年生まれで、
第二次大戦の終戦を待たずに亡くなっているので、
活躍した時期としては、だいたい一世代間が空いている感じでしょうか。

アートの世界では、モンドリアンやジャクソン・ポロックなど、
カンディンスキーが手探りで始めた「抽象絵画」を、
それぞれ独自の仕方で発展させていった世代が登場し、
ある意味では、その流れの中で、ある意味では、それに逆らって、
ポップ・アートの御旗を掲げて颯爽と舞台に現れたのがウォーホールでした。

debbie warhol

歴史的な観点を抜きにしても、とにかく「ポップ」ですよね。なんとなく。

上の絵は、アメリカのミュージシャン、デボラ・ハリーの写真を加工したもので、
今展覧会では、彼女のポラロイド写真や、
ウォーホール自身がそれを撮影するビデオなどが展示されていて、
この作品の制作過程を垣間見ることができました。

ここには、対象を忠実に再現しようだとか、
精密な技巧を駆使しようだとか、そんな真面目な意図は微塵も感じ取れなくて、
どちらかというと、どうでもいい書類にどうでもいいハンコを押して続けるような、
多少ずれても、多少かすんでも、別に構いやしない、みたいな、
でも、無色より、色があった方がきれいだし、楽しいし、みたいな、
とても軽くて、もっと言えばちょっと悪戯っぽい雰囲気が漂っています。

展覧会のほかの作品を見ていても、
ああ、きれいだな、と思うものもあれば、
え、これでいいの?と首をかしげたくなるような作品もあったりして、
逆に、さっききれいだな、と思った作品は、実は失敗作なのかな、とか、
いや、そもそもここには成功や失敗の区別なんかなくて、
ただただ作品が「複製」されていくところに、ウォーホールの芸術性があるのかな、
とか、いろいろ考えてしまいます。

そんな悩める鑑賞者の前に、突如、とんでもない光景が開けます。

Mao-thumb-480x617.jpg

本当に、大きさと、これが置かれた部屋の雰囲気をお伝えできないのが心苦しいですが、
実に高さ5メートルはあろうかというこの毛沢東の「肖像画」。
そして、これが設置された部屋の壁紙はいたるところ毛沢東。
他の壁にも、色違いの毛沢東。4つに並んだ毛沢東。毛沢東の横に、毛沢東。

しばし、思考停止。
よく見ると、上のデボラ・ハリーと同じ「メイク」が施してあります。
青いアイシャドーに赤い口紅。

この作品は、1972年にニクソン大統領が中国を訪問したのをきっかけに
制作されたものです。
この訪中は、冷戦下、ソ連との対立を深めるアメリカが、同じくソ連と距離をとって
独自の路線を歩み始めた中国と手を結ぶという電撃的な事件でした。

この作品に限らず、ウォーホールは、当時のアメリカを象徴するような
オブジェや人物を選んで、「メイク」を施していきます。
しかもその「メイク」は、その対象の深みを表現するというよりは、
むしろそれをただの「顔」、ただの「表面」にしてしまうような作業です。
どう見ても、この肖像画に、毛沢東の思想や内面が表現されているとは思えません。
あるいはそこに、ウォーホールの批判精神を感じることも難しい気がします。
ウォーホールの内面や思想すら、表面に拡散して見えなくなってしまっています。

カンディンスキーが追い求めた「青い空」の底知れぬ深さは、
ウォーホール印のプリンターによって無限に複製され、
インクはかすれ、印刷もずれて、もうなんだかどうでもよくなってしまっています。
深さはスライスされ、ペラペラの紙切れになり、ばら撒かれていきます。
そして、ここに、ウォーホールの作品を作品たらしめているもの、
いわば彼の「芸術性」があるのだと思います。
つまり、底知れぬ浅さ。ただただ表面だけの世界。

カンディンスキーの画業には、なにか尊敬すべきもの、
つまり探究心や画家としての技術の練磨のようなものが見られます。
しかし、ウォーホールにはそれらを感じません。
というか、そういった真面目な意図をとにかくずらし、はぐらかし、
自分の作品にまとわりつく「意味」や「意義」を箒でサッサッと掃って
つるんとした表面をキープするところに、「ポップ」を感じます。

真面目さや不真面目さの向こうにある、この底知れぬ軽さ。
不真面目に仕事しているのではなく、真顔で遊んでいるような。
ウォーホールがプロデュースしたヴェルベット・アンダーグラウンドの
ボーカル、ルー・リードは、ウォーホールを「ドレラ」と呼びました。
つまり、ドラキュラのようでもあり、シンデレラのようでもある人物だ、と。
見事な呼び名だと思います。


底知れぬもの(1)

2009年07月06日 18:39

こんにちは。

パリは暑い日々が続いています。
こう暑いと、とかく日常的な作業が終わりない苦役に思え、
自分の身体も思考も、いつもより重くまとわりついてくるような気になります。

こんなときは、美術館の扉をくぐり、
別世界への窓を開いてみたくなります。

ちょうど「カンディンスキー」と「ウォーホール」という、
現代の美術史を代表する二人の芸術家の展覧会が行われていたので、
今回と次回の2回にわたり、簡単に紹介してみたいと思います。

ちなみに、カンディンスキー展は、ポンピドゥー・センター、
ウォーホール展は、グラン・パレで行われています。

21 - Kandinsky Diversi cerchi.800x600

というわけで、ワシリー・カンディンスキーです。

上の絵(『いくつかの円』)を見ても分かるように、
彼はいわゆる「抽象絵画」の先駆者とされています。
たしかに、具体的な事物ではなく、
タイトルにもあるように、ただいくつかの「円」という抽象物が描かれています。

ここには一体、何が表現されているのでしょうか?

彼は円について、こう述べています。
1、それは、もっとも簡素な形だが、遠慮なく迫ってくる。
2、明確だが、汲みつくせないほどに変化する。
3、安定していると同時に、不安定である。
4、無音であると同時に、響きがある。
5、数え切れぬほどの緊張を内に含んだ、一つの緊張である。

これまた、すごく抽象的ですね。
彼はここで、いくつかの矛盾する言葉を並べることで、
円という形が持っているダイナミックさを表現しているのだと思います。
ようするに、円とはどうにも掴みきれない形である、と。

と同時に、円を描くということは、
この掴みがたさに形を与えることでもあるでしょう。
しかも、円が本来持つ豊かさを損なわないような形を。
それはつまり、多様に揺らめくような線を引くことではないでしょうか。
形に特定の場所や役割を与え、それを固定させるのではなく、
形を解放し、そのあるがままに任せること。
これが、カンディンスキーの探求したことではないかと思います。

彼の絵が、どこか開放的で、見ている僕らを楽しくさせるのも、
それが、僕らの日常的な感性を解き放ち、
事物を見るという行為の豊かさに立ち返らせてくれるからではないでしょうか。

cielbleu.jpg

今回の展覧会は、
カンディンスキーのさまざまな時代を、
彼の地理的な移動に焦点を当てつつ、再構成するもので、
一人の画家が、二つの世界大戦のさなかに、
まさに渦中のヨーロッパの中で場所を変えつつ(モスクワ、ミュンヘン、パリ・・・)、
自分のスタイルを構築していったさまが、まざまざとよみがえるようで、
ちょっと感動的でした。

もしかしたら、このような激動の時代だからこそ、
地理的あるいは時代的な制約を超えた、なにか普遍的なものを目指して、
彼は抽象絵画を作り上げていったのかもしれません。

上の絵(『青い空』)は、
教官を務めていたバウハウスがナチス・ドイツに閉鎖され、
パリ郊外に移住していた時期の作品です。

この時期に、カンディンスキーの画風は、
どこか開き直ったような、あっけらかんとしたような、
ますます楽しげで、ますます明るいものになっています。
バウハウス時代の、どこか思索的で緊張感のある絵を離れ、
まるで、色彩と形の饗宴に交わり、自らそこに身を委ねているかのようです。

しかし、見れば見るほどこの絵は、
表面上の明るさを超えて、どこか哀しげな気分を感じさせます。
とりわけ、背景に塗られた青は、謎めいた小さな生き物たちの奥で、
静かで騒々しく、安定しているようで不安定で、想像を絶する緊張感を発している・・・。

青い空。
その上ですべてが生み出され、
その上ですべてが消えていく場所。
届かない場所、底知れぬもの。

カンディンスキーが生涯にわたって追い求めたものは、
もしかしたら、いつも彼のそばにあって、彼の絵に生命を与えつつ、
彼をもっと別の表現へと駆り立てていた、この「青い空」なのかも知れません。


BDYLAN

2009年06月21日 18:45

Bob Dylan Revisited

こんにちは。

今日は趣向を変えて、BD(バンド・デシネ)を一冊紹介します。

「BOB DYLAN Revisited」と題されたこのBD、
ボブ・ディランの長いキャリアから選ばれた13曲に、
それぞれ異なる個性を持った作家たちが作品を捧げるという形式になっています。

バンド・デシネというと、「フランス版マンガ」のようなものだと言われますが、
実際にマンガ的なものを期待すると、ちょっと裏切られるかも知れません。
というより、また別の良さがあると言った方がいいでしょう。

両者の違いを説明するためには、僕などの知識では話にならないのですが、
無理を承知で言わせてもらうと、
マンガが話の展開や登場人物の動きや変化を中心に描かれていくのに対して、
BDでは、一枚一枚の絵がゆっくりと積み重なっていくような印象を受けます。

昨今は、マンガがフランスに大量に輸入されたこともあり、
両者の境目は、意識的も無意識的にも、曖昧になってきているようですが、
それでも、マンガの「作者」とBDの「作家」には、どこか未だに違いがあるようにも感じます。

今回取り上げたこの「BOB DYLAN Revisited」の背表紙にも、
「オマージュを超えた純粋に芸術的な体験」という言葉が見られます。

その言葉通り、
13人の作家たちが、実に様々な表現でディランの曲を歌っています。
「Blowin' in the wind」には、淡いイメージを重ねていく表現、
「A hard rain's a-gonna fall」には、どぎつい色合いによる夢想的な表現、
「Like a rolling stone」には、私小説風の淡々とした表現、
「Hurricane」には、写実的でドキュメンタリー風な表現、
「Blind Willie McTell」には、一枚絵を並べていくイラスト的な表現、等々。
挙げていけばきりがないですが、とにかく多彩。

眺めているだけで、ボブ・ディランというミュージシャンが人びとに与えた影響の
大きさと多様性を見るような気がして、ちょっとワクワクします。


BobDylan.jpg

そんな生ける伝説ボブ・ディラン様ですが、
今年で御歳68歳。バリバリの現役です。

1960年代にプロテスト・ソングの貴公子に祭り上げられ、
ビートルズやローリングストーンズとともに時代の寵児となった矢先、
オートバイ事故で重傷を負い、生死を危ぶまれつつも復帰、
70年代には映画に出演したり、日本武道館でライブしたり、
80年代にも精力的にアルバムを発表、
その創作エネルギーは衰えることを知らず、
最近では2006年に発表した『Modern Times』がビルボードの第一位を獲得するなど、
キャリアを通じて、つねにリスナーを刺激続けてきました。

よく言われるように、彼は時代に迎合することなく、
むしろ新しい音楽の可能性を常に切り開いてきました。
「答えは風に吹かれているのさ」という歌詞をそのままに、
従来の弾き語りを要求する観客にはエレキサウンドを突き付け、
有名になった曲には大胆なアレンジを加え、
歌唱法だけでなく声質をも変化させ、
「いつものアレやってよ」というだらけた要求にはあまり耳を傾けず、
「さてと、俺はこれがやりたいな」を淡々と突き付けてきたように見えます。

いずれにせよ、そんな姿勢が、言葉が違っても、フランス人も日本人もなく、
いろいろな人びとをひきつけてやまないのでしょう。

ところで、そんなディラン様ですが、
数年前、孫が通う幼稚園で演奏したところ、
子供たちに、「変なおじさんが怖い歌を歌った」と言われたそうです。

「フォークの神様」から「変なおじさん」まで。
底知れぬ器の持ち主であることは間違いありません。。。

時空を超えて、晴れやか

2009年05月24日 21:09

dechirico_lovesongbig.jpg

こんにちは。

「夢の創造―ジョルジョ・デ・キリコ回顧展」(パリ市立近代美術館)を観てきました。

シュルレアリスムに多大な影響を与え、ピカソをも震撼させたといわれるデ・キリコですが、
パリでの展覧会は、意外なことに、25年ぶりだそうです。

上の絵は、「愛の歌」と題されていて、まあ、力いっぱい「シュール」ですね。
そもそも置かれているオブジェが変だし、置かれている場所も殺風景だし、
彫刻の頭とか手袋が貼り付けられている板(?)も遠近感がないし、
向こう側には煙突の煙らしきモヤモヤが見きれているし、
この画像ではよく見えないけれど、彫刻の頭の下に細いピンが挿してあるのが無駄な感じだし、
手前の緑の球体は、異様なほど存在感があるのに、何だか分からないし。
なんか、むやみに晴れてるし。・・・。

見知らぬ土地を歩いているような不安と、
怖い場所ではなさそうだなという妙な安心感。
ふと、そんな自分の表情が、
彫刻の頭部として画中の板に張り付けられてしまったような錯覚に襲われます。

さて、この不思議な画風は「形而上学的絵画」と呼ばれたりもします。
そもそもこの言葉は、詩人のアポリネールが、
デ・キリコの絵も発表された1912年のサロン・ドートンヌ(秋の展覧会)の諸作品を指して、
用いたのが始まりだったようですが、
今ではすっかり、デ・キリコの画風を指す言葉として定着しています。

形而上学的、というと、何か小難しい理論が絵の背景にあるのか、面倒くさいな、
と思ってしまいますが、たぶん、事態はその逆で、
どうやって理屈をこねくり回しても、なんか掴みきれない、「謎」が残る、
そういう絵を、デ・キリコは目指したんじゃないかと思います。

「形而上学的」という言葉は、おそらく、目に見える世界を超えた、
目に見えない物の世界を指し示していて、だからこそ、
デ・キリコの絵も、日常的な感覚からすれば、
歪んでいて、なんだか無意味な感じすらするわけですが、
重要なのは、彼の描く風景が、変な言い方ですが、
「非現実的だけどリアル」だ、ということだと思います。もっと言えば、
「現実って、みんなが思っているほど型にハマっていないよ」ってことだと思います。

「大地の上。太陽の下を歩く人間の影の中には、古今のいかなる宗教よりも、もっと多くの謎がある」(ジョルジョ・デ・キリコ)

このように「リアルな不条理」を描いたデ・キリコの画家人生は、
「形而上学的絵画」の名声にもかかわらず、意外なほどに紆余曲折していて、
それでも、敬愛するニーチェの教説「永遠回帰」をなぞるかのように、
最終的には、最初の風景に戻っていきます。

シュルレアリスム運動の首領アンドレ・ブルトンに絶賛され、見捨てられ、
「形而上学的絵画」から距離をとり、古典絵画のさまざまな技法を吸収し、
数多くの自画像を描き、まるで、絵を描くことで自分のルーツを確かめるように、
反現代的な絵を書き連ねていった揚句、
「形而上学的絵画」の世界に、帰還を果たします。

432_37_Retour-dUlysse_P075-CHIRICOmd.jpg
ざぶーん。「ユリシーズの帰還」。

「帰還」と題されている以上、どこかからの旅の帰りなのでしょうが、
これほど「移動」を感じさせない旅についての絵は見たことがありません。
にもかかわらず、「どこにも行けない」的な焦燥感や悲壮感はみじんもなく、
ただただ、あっけらかんと、漕いでいます。ざぶーん。

面白いのは、この時期に、デ・キリコは初期の作品を、
そのまま、まるで自分の絵を模写するかのように、「再生産」していることです。
自分の作品を自分のものではないと主張して裁判沙汰になったことすらあるそうで、
こうなると、もう、人生全体が壮大な「謎」。

どれが彼の絵で、どれが彼の絵じゃないか分からずに、
デ・キリコの絵を理解することなんてできるのか。
何十年も経った後に、まったく同じ絵を描いているこの人物は、
ほんとうにデ・キリコという同一人物なのか。・・・。

ピカソのように、さまざまなスタイルを作り上げては乗り越えていった画家は、
残された作品群の背後に、「ピカソ」という巨大な存在を感じさせるようで、
その意味では、まっとうで「偉大な」画家だと言いやすい側面があるかと思いますが、
デ・キリコのように、初期に描いた絵とまったく同じ絵を晩年に描くような画家は、
(他にそんな画家がいるのかどうか、分かりませんが)、
あらゆる時期を貫いて変わらぬ画家のアイデンティティみたいなものを、
根底的に否定しているようで、
「デ・キリコはすごい」とか言ってしまうことに、気まずい感じを覚えさせます。

というより、「『絵』を見ているんだから、『画家』の話はよそうよ」みたいな、
すごく新鮮で楽な気持ちになります。

日常的な時間を超えた形而上学的な風景を描いた画家が、
時空を超えて、また同じ風景の窓を開けたかのようで、
いつまでも見慣れることのできない、あの風景がよみがえってきて、
ちょっと不気味だけれど、なんだか清々しいような、そんな気分になりました。





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